スピリチュアルと人間関係
みなさん、こんにちは。NANAKOです。
今日はスピリチュアルと人間関係というお話です。
人は人間関係の中で様々な気付きを得て、成長していきます。
自分以外の他者がいなければ、自分を認識することはできません。
また他の誰かが自分のトラウマのスイッチを押してしまったことで生じる
ネガティブな感情も、他者がいなければ感じることはありません。
私たちは、他者にもたれたり、もたれられたりしながら人間関係を築いていきます。
私たちが最も初めに経験する、依存の関係によって成り立つ人間関係です。
この段階では、相手に自分の価値観を押し付けてしまったり、
自分の思うとおりに相手をコントロールしようとしてしまいがちです。
自分の都合の良いように相手を動かそうとしてしまうのです。
コントロールは依存の一種だと言われています。
また、相手に頼りきってしまって精神的な依存がひどくなったり、
逆に、依存されることに喜びを感じ、他者の悩みまで
自分が背負い込もうとしてしまうこともあります。
この段階では、自分は自分、相手は相手といい意味で
割り切ることができません。過干渉気味になってしまうのです。
そして、最近多いのは、利害関係のみの人間関係です。
仕事や利益に繫がる人としか交流しようとしなかったり、
打算的な人間関係は増えていると感じます。
またあたりさわりのない、表面上の人間関係も多いのではないでしょうか。
現代において、ますますコミュニケーションが希薄になっているようです。
依存の段階の次に起こるのが自立の段階です。
人間関係の中でネガティブな経験を繰り返すと、それがトラウマとなり、
自分の痛みとなるものから切り離そうとすることがあります。
人間関係の問題を解決しようとするのではなく、問題そのものや
問題に関わっている他者から自分を切り離してしまうのです。
また過去の人間関係によるトラウマから、感情を抑圧してしまい、
本音を言えなくなってしまうこともしばしばあります。
過去に経験した人間関係による痛みが原因で、
人と繫がることや本音を言うことに恐れを抱いてしまうのです。
多くの人が依存、自立を何度も繰り返しながら、
人間関係に何かしらの悩みを持って生きていきます。
スピリチュアルをある程度学んでいくと、
他者と自分の切り離しが増えることがあります。
一つの要因としては、霊的エゴが入ってしまうことです。
霊的な勉強をするうちに、自分と他者は異なり、
自分は特別な存在だと感じるようになってしまうことがあります。
また、正義感が過剰になり、自己中心的な傾向が現れ、
周囲の人の言葉を耳にしない傾向がでることもあります。
これは智火とも言い、カリスマ性をおびたエネルギーが
コントロールできず、自分のペースに他人を
巻き込む傾向が強くなり、暴走しはじめるのです。
この状態になると、霊格や波動の高さによって
他者を見下してしまったりすることがあります。
どれだけ霊格が高まったとしても、瞑想などで、
常に自分を見つめることが重要だと思います。
「悟り」というものを、どこか別の世界に行くことや
霊的能力を高めることだと勘違いしている人も多いようです。
しかし、「悟り」とは、大変世俗的なものなのです。
修行者は、一時は世俗から切り離し修行をしていきます。
霊的に高まっていくと、「自分は一人で生きているのではない」
「すべては繫がっている」ということが、心から実感できるようになり、
奉仕精神が目覚めるとともに、人との繋がりを以前より
大事にしようとするようになります。
自分が得た霊的な気付きを今度は奉仕や労働という形で
この地球上に還元し、世俗の中で学び続けることこそ
悟りには重要なことなのです。
そして、世俗で生きていく上で切り離すことのできない
コミュニケーションは、自分を見つめるためにも
グラウンディングを強めるためにも重要です。
イエス=キリストは、他者に分け隔てなく接し、見下すこともなく、
弟子の足まで洗ったと言われています。
「すべては一体である」というワンネスの意識を本当に持っていたからこそ、
イエスはこの愛ある行為ができたのだと思います。
霊格が高まると、依存の関係や、切り離しによる自立を超越し、
コミュニケーションの新たな段階がおとずれます。
あなたのコミュニケーションは、恐れによるコミュニケーションでしょうか?
それとも、愛によるコミュニケーションでしょうか?

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